治療的自我 ④ (優しさ、慈悲深さ「傾聴力、共感力、受容力」)

2015年11月23日

優しさ、慈悲深さ(傾聴力、共感力、受容力)…


病気や怪我をし、悩み、考え、苦悶した末に、意を決して(慌てて)訪れた治療者(主に医師)が、優しく、慈悲深くあって欲しいと思うのは、至極当然の事ですよね。
話をじっくり聞いてくれ、心から共感してくれ、受け止めて欲しい!と、思わない人はいませんよね。

必死の想いで相談した治療者に、ぶっきらぼうだったり、無愛想だったり、やたら厳しかったり(場合により、ある程度の厳しさや毅然とした態度が必要な事もあります)、機械的な対応をされたのでは、たまったものではありません。
ただでさえ、追い込まれた状況なのに、きっと更に心に深い傷を負う事でしょう。
しかし、治療者が話を聞いてくれない、対応が機械的、愛想がない(全く目を合わせずにパソコンばかり見ている…等)、気難しい、話をしにくい(言いたい事を言いにくい)、配慮のない言葉を浴びせられて深く傷つけられた(ドクターハラスメント)・・といった話は、実は非常に多いんです。
そのような経験をされた方も多いかと思います。

何故なのでしょうか?
人の病気や怪我を治す立場にある医師ともあろうものが、何故このような態度をとるのでしょう?
どうして、優しく、慈悲深く、じっくり患者さんの話を聞き、共感し、受け止める事ができないのでしょうか??


まず現実的な問題として、
「とにかく医療現場は忙しい!」
という、頑然たる事実があります。
通常の外来診療であれば、1人の患者さんにかけられる時間は、せいぜい10分、どんなに長くても15分が限界(診療科や病院の機能等によって、一概に言えるものではありません)と言えるでしょう。
それ以上時間をかけてしまうと、他の方を大幅に待たせてしまう事になり、診療が滞ってしまうんですね。
また、このような非常に限られた時間の中で、頭と身体をフル回転させて診察をし続けなければならない(しかも責任が重い)ので、治療者にかかる心身の負担は、それはそれは大変なものです。
治療者も人間である以上、心身共にストレスフルな状況におかれ続ければ、疲労困憊し、必然、余裕を持つ事が難しくなります。
余裕がないので、優しく、慈悲深く、共感し、受容する事ができなくなってしまう…
というわけなんですね。
これは、物理的な問題でもあり、ある程度は仕方がないと言えます。


しかし、もっと本質的(根源的)な問題があるんです。
それは、

「そもそも医師には、優しさや慈悲深さ(傾聴力、共感力、受容力、)という人間的素養(品格)を持っている人が少ない…」

という、あまりにも悲しすぎる?事実なんです。
これを言ってしまうのは、結構勇気がいる事なんです(笑)が、そう言われてみると、十分に腑に落ちる(納得できる)人は、かなり多い筈です。

何年か前に、麻生太郎さん(当時は首相)が、
「医師という職業は、変わった人が多い」
と、公の場で発言した事がありました。
かなりバッシングを受けたように記憶していますが、何の事はない、実は全くもって正論なんですね。
言う「場所」が悪かっただけで、言った「内容」は全然間違っていないんです(笑)。


では何故、医師には、「優しさ」や「慈悲深さ」といった人間的素養を持った人が少ない(変わった人が多い?)のでしょうか??
また回を改めて考えてみたいと思います。