なぜ「治療的自我」に欠けるのか?

2016年05月07日

優しさ、慈悲深さ(共感力、傾聴力、受容力)
謙虚さ
ユーモア
責任感


いづれも前出の「治療的自我(治療者に望まれる人間的素養、品格)」です。
これまで、これらがいかに大切か、何故必要なのかについて、一つ一つ説明させていただきました。
と同時に、大変残念ながら、これらを持ち合わせていない治療者(特に医師)が大変多いという、悲しすぎる指摘もさせていただきました。
今回は、その理由を考えてみたいと思います。



「優しさ、慈悲深さ、謙虚さ、ユーモア、責任感等の人間的素養がなくても、勉強ができて受験戦争に勝ちさえすれば、医師になれてしまう…」

以前にも申し上げましたが、この事実が、この問題の核心を示しています。
そう、人間的素養がなくても、問題なく医師になれてしまう(医学部の入学試験の際、面接で判断できるという意見もありますが、たった一度の面接で、人間的素養なる極めて繊細かつ神聖なものを、見極められる筈がありません…)んです。


小学生時代を想い起こしてみてください。
クラスに1人や2人は、やたらと勉強のできる人がいたでしょう?
勉強は鬼のようにできる…しかし、周囲とのコミュニケーションや人間性といった点に関しては、かなり問題あり…ではありませんでしたか?
勿論、皆がそうというわけではありませんが、少なからずこのような傾向はあった筈です。
この、やたらと勉強はできるが、人間性は×…という人は、その後どうなったでしょう?
小学校で勉強ができた人は、中学、高校でもずっと成績が良い可能性が高いですよね?
高校卒業時点で成績が良ければ…?
必然、ランクの高い難関の大学や学部に入学する事になりますね。
現在の日本で、最も難易度が高いとされているのは何学部でしょう?
そう、お察しの通り、まさに、医師を養成する「医学部」なんです(国公立や私立など、一概に言えない部分もあります。しかし、基本的に最低レベルの私立であっても、早稲田や慶応レベルに十分に合格できる学力は、絶対的に必要です)。


小学校の時に人間性が×だった人が、大学(医学部)に入学するまで、もしくは、入学後に、急にコミュニケーション能力が高まったり、人間性が高まったりするでしょうか?
残念ながら、答えは「ほぼノー(絶対ではありません。本人の気づきや努力、もしくは、人間性を磨く環境に恵まれれば、この限りではありません。)」です。
皆が皆とは言いませんが、小学校の時に×であった人間性は、大人になっても概ね×のままなんです。
何故なのでしょうか?
それはズバリ、今の日本(日本に限らない?)においては、
「勉強さえできていれば、基本的に他の事はとがめられない(成績が良ければそれでOK)」
からです。


勉強ができる…これはとても素晴らしい事です。
勉学を頑張る、修めるという事は、とても大変な事であり、尊い事であり、生きていく上で、極めて大きな糧、財産となるものです。
基本的に、そこに疑問の余地はありません。
昔より幾分変わった感があるとは言え、まだまだ世の中は学歴社会ですよね?
それは、勉学には、それだけの価値と魅力と尊さがあると、誰もが認めているからです。


しかし!です。
大変残念ながら、
「勉強ができる=人間性が高い」
わけでは決してないんです。
いやむしろ逆に、
「勉強ができ(すぎ)る=人間性に難あり」
と言えるのではないでしょうか(何度も言いますが、皆が皆ではありません…)?


「勉学」は、自分(だけ)の世界です。
自分(だけ)の頭で考え、理解し、記憶し、論理的思考を深め、追求していく行為です。
そこには、他者の入る余地は(ほぼ)ありません。
そう、勉学を頑張る上においては、他者との関係性において極めて重要な、コミュニケーションや人間性といった、機械化や数値化する事のできない価値観や能力を、基本的に必要としないんです(しつこいですが、言い切る事はできません。他者との関係性から学ぶ学問もあります)。


極端な例で考えてみましょう。
小学校時代から勉強はピカ一、常にトップクラスで、ほとんど負けた記憶がない。
中学、高校もトップクラスの進学校で、上位の成績を維持。
しかし、周囲からはやや偏屈扱い、友達はほとんどできず、運動やクラブ活動とも疎遠続き。
とにもかくにも成績がいいので、大人からの評価は常に上々。
大きな挫折や人間関係の失敗、思春期特有の心の悩み等もほとんど経験する事なく、順調に高校3年生となる。
将来は特に考えていなかったが、進路指導の先生から、「お前は成績がいいので医学部を狙えるぞ」と言われ、深く考える事もなく、現役で医学部に合格する。
医学部入学後は、6年間の知識詰め込み教育をたんたんと受け、そのまま国家試験に合格し、医師となる…

勿論、全員というわけではありませんが、上記は「かなり典型的なパターン」と言って良いと思います。
このような経緯を経て医師となった人間が、果たして「治療的自我」を身につける事ができるでしょうか?
優しさや慈悲深さ、謙虚さ、ユーモア、責任感を兼ね備える事ができるでしょうか??


複雑な人間関係で苦労したり、失敗したり、裏切られたり、誤解されたりといった、辛く苦しい経験をするからこそ、始めて人に対して「優しく、慈悲深く」なれるんです。
頑張っても頑張ってもどうしてもうまくいかない、成し遂げられない、勝つ事ができない、認めてもらえない、居場所がない等といった苦い経験をするからこそ、始めて「謙虚」になれるんです。
多種多様のコミュニケーションをとり、やはり失敗したり痛い目にあったり、時にはうまくいったり、皆で楽しみを共有したり分かち合うといった経験を積んでいるからこそ、始めて「ユーモア」を発揮できるようになるんです。
友達同士や先輩、後輩、クラブ活動、その他様々な集団や組織や団体において、役目を任せられたり、全うしたり、時には泥をかぶせられたり、組織全体として大きな成果を出したり出せなかったりといった経験を積んでいるからこそ、始めて「責任感」が生まれてくるんです。


上記の「典型的パターン」を経た人が、「治療的自我」を身につけられない理由が、良くおわかりいただけたのではないでしょうか(麻生太郎さんが、「医師には変わった人が多い」と発言したと、以前に申し上げましたが、その意味も理解できるかと思います。)?
そう、「勉強だけ」していたのでは、人間性を磨く事はできないんです。
もう一度繰り返します。
「勉強だけ」して、人間関係から疎遠な環境に身をおいていては、優しさや慈悲深さを身につける事はできないんです。
「勉強だけ」して、常に勝ち続け(他の部分で負けていても、勉強ができてさえいれば、大人や世間がそれでOKとしてしまうので、本人は勝っていると誤解してしまいます。つまりは、大人や世間そのものに問題があるとも言えます…)ていては、敗者や苦労人、病気や怪我をした人、その他弱者とされる人の気持ちや心の奥底を、本当の意味で理解する(共感する)事ができないんです。
「勉強だけ」して、複雑かつ時には理不尽な人間関係や葛藤、コミュニケーションを経験していなければ、そこから生まれる「本当の意味でのおもしろさ」を理解する事などできませんし、ましてや発信したりするなど不可能なんです。
「勉強だけ」して、集団や組織において大切な役割を全うしたりまかせられたり、多種多様な問題にぶつかったり打ちのめされたり解決したりといった経験を積んでいなければ、いざという時に責任をとるという覚悟や使命感は、決して生まれてこないんです。


ではどうすれば、人間性(治療的自我)を身につけられるのでしょうか?
これはなかなか難しい問題です。
以前にも申し上げましたが、一長一短の努力で解決できる事ではないからです。
一夜漬けをしてもダメです。
急に交友関係を拡げようとしても、忙しい中でそんな事はなかなかできません。
人間性とは、生まれやDNA、育ちも含め、小さいときからの環境、価値観、考え方、出会い等様々な複数の要因によって、時間をかけて育まれるものなんです。


しかし、一つだけ前進できる事(心構え)があります。
それは、少なくとも
「自分には治療的自我(医師として必要な人間性)が欠けている」
と自覚する事です。
治療的自我が身についていない、もしくはすぐには身につける事ができないとしても、身についていないという意識、自覚を持っていれば、普段の言動が変わってくるものなんです。
必ずそこから、謙虚さや優しさ、引いては責任感が少しずつ生まれてきます。
怖いのは、そのような意識が全くない事、もっと怖いのは、わかっていて「蓋をする」事なんです。
しかし、非常に残念なことに、医師の世界においては、「蓋をする」どころか、「無視」、更に言えば「タブー」視すらする傾向があると言わざるを得ません。
なぜなのでしょうか?


答えは簡単、明白です。
人間性が足りない…などと言われては困るからです(笑)。
そんな事を言われても、まずもってどうしようもありませんし、発展的な解決方法を考える余地もありません。
それだけならまだしも、長年に亘って培ってきたプライド(医師は、人一倍プライドが高い人種です…)をズタズタにされるからです。
上記のように、基本的に学歴社会の世の中にあって、医師は「勝ち組」です。
勉強に関しては、強い誇りと自負がありますし、周囲からも、それを肯定され続けてきています。
それを非難されてしまうと、自分自身が歩んできた(信じてきた)道を、真っ向から否定しなければならなくなり、心の中でとてつもない葛藤が生じてしまうんです。
また、以前にも申し上げた通り、医療現場は極めて過酷です。
極めて忙しく、危険で責任も重く、日々の心身の負担は、それはそれは計り知れないものがあります。
そのような状況下で、毎日必死に頑張っているところへ、「人間性が足りない」などと言われては、大多数の人は「カチンと」くるのは、当たり前と言えば当たり前ですよね…


いやはや、何とも難しいですね…
お察しの通り、残念ながら、この問題を解決する決定的な方法は、現段階ではありません。
しかし、それを前提とした上で、敢えて希望的提言をするならば、

・医学部入試時に、医師として必要な人間的素養を兼ね備えているかどうかを見定める手段や方法を模索、確立していく
・医師を目指す人に対して、なるべく早く(できれば小さい頃から)「治療的自我」なるものを教える
・医学部の難易度をもう少し下げる(極端に下げては元も子もありませんが、現在の医学部の難易度は、ちょっと高すぎるかと思われます。高すぎるが故に、極め て優秀ではあるが、バランス感覚に乏しい、人間性に難のある人材が集まる傾向がある事は、否定できません…。)

といった事が実現できれば、本当に素晴らしいなと、勝手に思っている今日この頃です。


尚、ほんの少しずつではありますが、明るい兆しも見えてきてはいます。
難関の医学部の中でも、まさに最高峰である東京大学医学部は、入学試験に面接を導入する方向性を、先般発表しました(遅すぎる感は否めませんが…)。
特に私立大学を中心に、診療における対話力やコミュニケーション力に焦点を当てるような講義、教育も、増えつつあります。

念のため、付け加えておきます。